唯、スマホの中の世界と違うよ、僕は元々はGuitarデビューしていた
日本で活動していて、大成建設の事務所に呼ばれて、フルボッコにされ入院をした
その後『被害的な幻聴』『被害妄想に苦しんだ』それでも、『アーチスト活動』は続けていた。苦しいのを乗り越えられたのは、それ程多くなかったけれど、お客さん達が救いだった。
お金を稼がなければいけない時代、まだ、バブル全盛期だった、大成で請求された額が6億円だった。飲み屋で女装して働こうと思った。まずおかまちゃん第一号だったかも・・・男で宝塚女優していたのは僕1人、女優経験くらいしか仕事はしていなかった。随分と考えて何とか胸が過去史は大きくならないかと重い、胸の大きくなる女性ホルモン剤を使った。またのところは、睾丸から出ている線を恥って、男性ホルモンが出るのを抑えた。胸を大きくする薬が高価だったから・・・。1ヶ月程で、自分の気に入った大きさになった。女性と違って保持するのは大変だった。どうしても小さくなって言ってしまった。綺麗な人セクシーな人は多かったので、1人だけ可愛いで仕事をしていた。
今でも、宝塚ネームでは、DVDや、CDも出している
歌とダンスは続けてきた。今、続けようかどうしようか考えている
年になって、段々しんどくなってきた
唯、胸は小さくした。Americaで、男としてのダンサーを目指すためだった
唯、アイスダンスは得意としていた。胸を小さくするのに筋肉増進剤で鍛えるしかなかった。アイススケートは、筋肉量なんか関係ない競技だったので、筋肉増進剤等の使用で引っかかること無く、アイスダンスのペアで、オリンピックでメダルは取れた。その後、やはり言葉の問題で日本に帰った。
日本国籍取得は大変だったけれど、男としての仕事も沢山あった。自衛官の幕僚長の仕事と復興庁長官はしていた。田舎でフルボッコを食らわなければ、政府系の仕事も続けていたが、手足のしびれと震えでは、限界を感じた。定年前に辞任している
決して障害を持ったから・・・と言って諦めること無く突き進んできた。今もその勢いはある。
大成でのフルボッコから日が経ち忘れられた頃裁判にしてくれた。多分、大成建設ではこの世を去っていると思っていたらしい。二度目のフルボッコは、精神疾患で、Guitarをこいて遊んでいるというクレームの裁判に勝てたことが影響しているかも・・・
田舎で、仕事をしないでGuitarを弾いて朝臣ている精神障害者の遊び人のリーダーだと突っ込まれてはいた。施設では、僕がProのGuitar弾きとは知らなかったらしい
また、Synthesizer奏者からエレクトーン奏者としてコンサートも度々開いていた。
年なので続けようかどうしようかというところだ
作詞作曲は続けているが・・・
還暦を過ぎて、コンサート等も考えている。どうしても仕事をしなければ食べていけない実ではないからだ。
唯、精神障害者で仕事をしないリーダー多とは言われてしまうので、作業所通いは週一でしている
引き籠もっていないで、外の世界を知ると、どれだけ楽しい世界が有るのかと知ってほしい
Guitar弾きなんか、ギターを毎日抱いて弾いているだけで弾けるようになるし・・・
Electric Guitarギターなら、Headphoneで練習可能だし・・・
また、今、余り良い鍵盤は売られていないのが現実
高価なエレクトーンなどはあるけれど、鍵盤弾きは難しいかも・・・
今では、YouTube配信も出来る時代だし・・・
練習次第かな・・・
歌やダンスもそうだし・・・
外へ出る自信が無ければ、SNSをうまく使う方法もある
自分の思うような世界と少し違うのかもしれない
だけど、共有してくれる人もいると思う
批判さえしなければ・・・