『フルボッコ』を食らってからのエピソード

当時、まだ『Y.M.O』現役でしたが、『フルボッコ』を食らって『恐喝』され、お金を6億円高請求され、とても払える額では無く、『おかまちゃん』しか仕事も浮かばず、女の子の使う胸を大きくする薬を使って、女装して仕事していました。張ることなのって仕事していて、渋谷のクラブに働いていました。当時学校にも通っていたので、男の子の友達に、胸を触らせろとかい割れたりもしましたが、嫌われ無かったです。三面鏡を買って胸の大きさを、可愛い大きさに整えるのは大変でした。男だし、女性ホルモンが出る訳では無いので、高価だったけれど、手術は嫌いだったので、薬で大きくはしていましたが、意外と小さかったかもしれません。髪の毛も伸ばし、薬で胸が少し大きくなった頃、すねの毛なども全く無くなってしまいました。大事な所は、玉から出ている線を縛っていました。薬が高価でしたので、少しでも、男性ホルモンの影響を避けていました。胸を大きくするのに、ソープ嬢のお姉さんに、よくもんでもらったりはしました。何故か、メチャクチャ気持ちの良い胸に成ってしまいました。『Y.M.O』は解散して『HappyEnd』と名乗っていました。その頃から再び『宝塚』へも戻って仕事もしていました。唯、『HappyEnd』の時は、宝塚で胸をぺちゃんこにする方法を教えてもらって、意外と小さな胸でしたので、それ程大変ではありませんでしたが、念願のダンスも覚え、Classic-Ballerinaになるために、胸を小さくするのは大変でした。Americaへ渡って男性ホルモン剤では小さくならず、単にすねのけがは得たり、ひげが生えるだけの薬でした。胸を小さくするのに、筋肉増進剤を使って鍛えました。小さくは成って、フィギュアスケートの男役も演じて、オリンピックにも出ましたが、まさかペアで男1人で、3役をこなしたら、金銀銅のメダルになってしまい、お笑いの様な馬鹿をした記憶はあります。それ以来は、事に、胸を大きくしたいとは思いませんでしたが、今でも、胸は小さくても女の子の様に気持ちよくなってしまいます。男の人は、『フルボッコ』を食らって以来、嫌な物です。それもおそらくソープ嬢のお姉さん達が、良くしてくれたおかげです。28歳の年に、アメリカから日本へ帰り、家がお菓子屋だったので、菓子学校へは行きました。30際の年に、女装して、Concertをしてみました。理由は、劇団『四季』へ言っても、男優には向いていなかったからです。結果『宝塚』へも帰り、ドレス姿でのConcertも続けました。『フルボッコ』にされ恐喝されたお金を返しても結構なお金はありました。何故か女の子の裸の写真は見たいとは思いませんが、服の上からの胸を見たいとは思ったりしてしまいます。自分で胸の大きさを調節していたからかも・・・。安アパートでは、銭湯でしたので、男の人から女風呂へ言ってくれと言われ、おばさま達にかわいがられてもいました。玉からの線も縛ってあったので避妊も出来ませんでした。下手な不妊手術より簡単な手術で避妊は出来ますよ。唯、女っぽくなってしまうかも・・・。女性でも不妊手術をすると男っぽくなってしまうようです。ひげさえ綺麗に剃っていれば、まだ、ドレス姿で仕事も出来ます。意外と仕事でも男の人がまたのところを触る人はいません。仕事で何年かホステスでいましたが、単に『おまえ男かよ』という人は二人しかいませんでした。今は不妊していませんから・・・、河合なDress-Typeの避妊服を着せて、楽しんだりしています。唯、何故か奥さんが複数になってしまい、未だに同居の内縁の妻を決めかねています。一人暮らしの気楽さに慣らされてしまっているのかも・・・。今の法律が変わり表現は難しくなりました。